はじめに:何もない村で、最高のおもてなしを
こんにちは。山陰の小さな村で、妻と二人で暮らしております、タカシです。
先日、長年勤めた都会の会社時代の友人夫婦が、私たちのこのささやかな住まいを訪ねてきてくれました。「一度、タカシの城を見てみたい」と、はるばる車を飛ばしてやってきてくれたのです。その知らせを受けた時、私たちの胸には、懐かしい友人に会える喜びと共に、一つの大きな問いが浮かび上がりました。
「この何もない村で、私たちは彼らに満足してもらえるような『おもてなし』ができるのだろうか」と。
都会でのおもてなしと言えば、お洒落なレストランを予約し、話題のスポットを案内し、夜は夜景の見えるバーで語り合う…といったところでしょうか。しかし、私たちの村には、洒落たレストランも、観光名所も、もちろん夜景の見えるバーもありません。あるのは、静かな時間と、豊かな自然、そして私たちのささやかな日々の暮らしだけです。
しかし、私たちは考えました。ないものを嘆くのではなく、ここにあるもの、ここでしか味わえないものこそが、最高のおもてなしになるのではないか。今回は、そんな私たちが考え抜いた、一泊二日の「自慢の田舎暮らしおもてなしコース」の全貌をご紹介したいと思います。それは、お金をかけるのではなく、時間と手間をかける、私たちの暮らしそのものを味わってもらう旅でした。
【一日目・午後】チェックインは、私たちの畑です
畑で野菜を収穫するウェルカムドリンク
友人夫婦が我が家に到着したのは、昼下がりのことでした。長旅の疲れを癒すため、まずはお茶でも…と誘う代わりに、私たちは彼らに麦わら帽子と長靴を手渡しました。
「ようこそ!まずはチェックインを兼ねて、今夜の食材を調達しに行きましょう」
そう言って案内したのは、家のすぐそばにある私たちの小さな畑です。きょとんとする友人夫婦を前に、私は胸を張って言いました。「今、ここで採れたものが、世界で一番新鮮なウェルカムドリンクですよ」。そう言って、真っ赤に熟したミニトマトをもぎって手渡すと、友人は恐る恐るそれを口に運び、次の瞬間、目を見開きました。「うまい!なんだこれ、果物みたいに甘いぞ!」
その声を聞いて、私は心の中でガッツポーズをしました。きゅうり、ナス、ピーマン…。私たちは童心に返ったように、今夜の食卓に並ぶ野菜たちを、自分たちの手で収穫していきました。これこそが、どんな高級レストランの前菜にも勝る、最初のおもてなしです。
【一日目・夕方】共同作業で作り上げる、薪ストーブディナー
主役は採れたて野菜と、揺らめく炎
家に戻り、泥のついた野菜を洗いながら、夕食の準備が始まりました。これもまた、全員参加の共同作業です。妻が料理長となり、友人夫婦は野菜を切ったり、皮をむいたり。そして、私の担当は、この日のメインイベントである「火おこし」です。
我が家のリビングの中心には、どっしりとした薪ストーブが鎮座しています。その炉内に薪を組み、火をつける。パチパチという音と共に、オレンジ色の炎が立ち上る様子を、友人は興味深そうに眺めていました。「すごいな、本物の火だ」。彼のその呟きに、私は我がことのように嬉しくなりました。
この日のメニューは、採れたての夏野菜をふんだんに使った、妻の特製料理です。スキレットで焼いたナスのチーズ焼き、きゅうりと鶏肉の和え物、そして薪ストーブの上でコトコト煮込んだ、完熟トマトの無水スープ。特別な食材は何一つありません。しかし、自分たちの手で収穫し、皆で作った料理を、本物の火のぬくもりを感じながら囲む食卓は、この上なく贅沢なものでした。
【一日目・夜】満天の星と、源泉かけ流しの湯
最高のエンターテイメントは、夜空に広がる
お腹が満たされた後、私たちは家から車で15分ほどの、村営の温泉施設へと向かいました。我が家の薪ボイラーの風呂も自慢ですが、この村が誇る源泉かけ流しの湯を、ぜひ友人にも味わってもらいたかったのです。
地元の人々で賑わう、飾らない湯船。そこで交わされる何気ない世間話。友人は、観光地ではない、ありのままの日本の温泉文化に触れ、深く感動している様子でした。
そして、帰り道。私は車のエンジンを切り、ヘッドライトを消しました。すると、車窓の外には、息をのむような光景が広がっていました。都会では決して見ることのできない、満天の星空です。天の川がくっきりと見え、流れ星がいくつも尾を引いていきます。「プラネタリウムみたいだ…いや、本物か」。友人のその言葉が、何よりの褒め言葉でした。
【二日目・朝】鳥の声で目覚める、スローな朝食
翌朝、友人夫婦は「こんなにぐっすり眠れたのは久しぶりだ」と言って、晴れやかな顔で起きてきました。都会の喧騒とは無縁の静寂と、鳥のさえずりだけが聞こえる朝。それもまた、私たちが提供できるおもてなしの一つです。
朝食は、地元のパン屋さんの焼き立てパンと、妻が畑の果実で作った特製のジャム、そして新鮮な卵で作ったシンプルなスクランブルエッグ。一杯一杯、豆から挽いて淹れたコーヒーの香りが、室内に満ちています。
食後は、縁側に座って、ただぼんやりと庭を眺めながら語り合いました。時間に追われることなく、目の前の相手と、そして自分自身と向き合う時間。この「何もしない贅沢」こそ、田舎暮らしがくれる最高の贈り物なのかもしれません。
まとめ:おもてなしとは、暮らしの「おすそ分け」
あっという間の一泊二日が過ぎ、友人夫婦が帰る時間になりました。お土産に、妻が作ったジャムと、朝採れの野菜をたくさん持たせると、友人は少し照れくさそうに、しかし真剣な目でこう言いました。
「最高の贅沢だった。正直、少し羨ましいよ。次は、薪割りを手伝いに来るからな」
その言葉を聞いて、私は確信しました。本当のおもてなしとは、お金をかけて何か特別なことをするのではなく、自分たちが大切にしている日々の暮らしそのものを、少しだけ「おすそ分け」することなのだと。
私たちの暮らしは、確かに不便で、手間のかかることばかりかもしれません。しかし、その手間ひまの中にこそ、都会が失ってしまった豊かな時間が流れている。友人たちは、その時間の価値に気づいてくれたのです。私たちの自慢の田舎暮らしは、最高の「おもてなしコース」になったようです。