移住の理想と現実。都会の子供たちに伝えたこと、反対はなかった?

white and brown concrete building near green mountain under white clouds during daytime 移住前の準備

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ブログ「田舎移住の光と影」のタカシです。

前回は、私たち夫婦がなぜこの山陰の過疎地を選び、移住を決意したのか、その三つの理由についてお話しさせていただきました。自分たちの手で暮らしを創る喜び、年金生活でも無理なく送れる経済的なゆとり、そして人との「ちょうどいい距離感」。これらが私たちの背中を押した大きな要素でした。

しかし、人生の大きな転機となる「移住」という決断には、夫婦二人の意思だけでなく、やはり大切な存在である子供たちの理解が不可欠でした。

私たちには三人の子供がおり、皆すでに独立して県外で暮らしています。彼らに自分たちの移住計画を伝えた時、どのような反応があったのか。今回はその時の様子と、私たちの思い、そして移住後の関係性の変化について、率直にお話ししたいと思います。

突然の「田舎暮らし宣言」に、子供たちは…

定年退職が二年後に迫った頃、私たち夫婦は本格的に移住計画を進め始めました。週末には夫婦で各地の移住体験イベントに参加したり、空き家バンクの情報をチェックしたり。そんな中で、この山間の村に出会い、何度も足を運ぶうちに「ここだ」という確信を深めていきました。

そしていよいよ、子供たちに「田舎に移住する」ということを告げる時が来ました。長男、長女、次男の順に、皆が実家に集まった時を見計らって、私たちは自分たちの考えを話しました。

「私たち、定年したら山陰のこの村に移住しようと思ってるんだ」

正直なところ、彼らは驚きを隠せない様子でした。まさか両親が、自分たちの知っている生活圏を離れて、見ず知らずの田舎へ行くとは夢にも思っていなかったのでしょう。彼らの表情からは、驚きと共に、「なぜ?」という疑問符と、そしてかすかな不安の色が見て取れました。

子供たちの「懸念」と、私たちの「説明」

最初は皆、口々に「ええっ!?」と声を上げましたが、その後の質疑応答はまるで記者会見のようでした。彼らが最も心配していたのは、やはり「両親の老後」についてでした。

【懸念その一:何かあった時の対応と医療体制】

「お父さんやお母さん、何かあった時、誰が助けてくれるの?病院はすぐ近くにあるの?」

これは最も切実な心配でした。都会では救急車もすぐに駆けつけるし、大きな病院もたくさんあります。しかし、私たちが選んだ村は、診療所はあっても、大きな病院までは車で三十分以上かかる場所です。

私たちはこう説明しました。

「もちろん、その点はよく考えているよ。この村は確かに大きな病院からは少し離れているけれど、その分、日々の健康管理にはより一層気を配るつもりだ。畑仕事や温泉通いで体を動かし、規則正しい生活を送る。それに、ご近所の方々との助け合いも期待できる。いざという時は、緊急車両が来るまで、地域の方々が見守ってくれる文化がここにはあるんだ。そして、年に一度は都会の病院で定期検診を受けるつもりだし、何かあればすぐに連絡するから、心配しないでほしい」

【懸念その二:物理的な距離と会えなくなる寂しさ】

「遠いところに行っちゃったら、気軽に会えなくなるじゃないか」「孫の顔を見せに行くのも大変になる」

これも当然の感情です。特に、孫たちと会う機会が減ることを寂しがっていました。

「確かに距離は遠くなるけれど、今はテレビ電話もあるし、連絡はいつでも取れる。それに、この村には、都会では味わえない素晴らしい自然がある。君たちや孫たちが遊びに来てくれた時には、思う存分田舎の体験をさせてあげられる。採れたての野菜でご馳走を作って、薪ストーブの火を囲んで、みんなでゆっくり過ごす。そんな新しい楽しみ方ができるんじゃないか?」

【懸念その三:都会との生活のギャップと不便さ】

「買い物とか、本当に大丈夫なの?何かと不便なことが多いんじゃない?」

便利な都会で育った彼らには、車がなければ生活が成り立たないような場所での暮らしは想像しにくかったようです。

「もちろん都会と同じようにはいかないよ。でも、それがいいんだ。スーパーまで車で買い出しに行くのも一つの楽しみだし、地元の商店街も頑張っている。何より、自分たちで畑を耕して、食べるものを育てる。その手間ひまを楽しむのが、私たちの目指す暮らしなんだ。それに、近くには素晴らしい温泉もある。不便さを楽しむくらいの気持ちでいれば、それはむしろ豊かなことだと感じるようになるさ」

家族会議を経て、得られた理解と応援

私たちは、子供たちの不安一つ一つに、丁寧に、そして正直に答えました。理想ばかりを語るのではなく、不便さやリスクもきちんと伝え、それでもなお、この新しい生活に自分たちがどれほどの価値を見出しているかを力説しました。

最初は眉間にしわを寄せていた子供たちも、私たちの熱意と、具体的な生活設計を聞くうちに、少しずつ表情が和らいでいくのが分かりました。特に、自分たちが老後の生活を前向きに、そして自立して築こうとしている姿を見て、安心感を抱いてくれたようでした。

最終的に、彼らは「お父さんとお母さんが決めたことなら、応援するよ」と言ってくれました。その言葉を聞いた時、夫婦二人で顔を見合わせ、心底ほっとしたのを覚えています。彼らの理解が得られたことで、私たちはより一層、移住への自信と期待を膨らませることができました。

移住後の子供たちとの「新しい」関係

移住して五年が経った今、子供たちとの関係は以前とは少し形を変え、しかし、より深く、温かいものになったと感じています。

確かに、物理的な距離は遠くなりました。ですが、その分、帰省してくれる時の喜びはひとしおです。都会の喧騒から離れて、この静かな村で、子供たちや孫と過ごす時間は、何よりも贅沢なものです。

畑で採れたばかりの野菜で料理を振る舞い、薪ストーブの炎を囲んで語り合う。夜には満点の星空を眺めながら、子供たちが幼かった頃の話をする。都会にいた頃は、お互い忙しさにかまけて、これほどゆっくりと心ゆくまで語り合う時間はありませんでした。田舎での暮らしが、家族の絆を再認識させてくれたように感じます。

孫たちも、都会では経験できない田舎の生活を大いに楽しんでくれています。畑で泥だらけになって野菜を収穫したり、焚き火を囲んでマシュマロを焼いたり。彼らの無邪気な笑顔を見ていると、私たちの移住は、家族にとっても良い選択だったのだと、心からそう思えます。

移住は、夫婦だけの問題ではありません。家族、特に子供たちの理解と応援は、移住生活を始める上で大きな支えとなります。しっかりと話し合い、お互いの思いを伝え合うことで、きっとそれぞれの家族にとっての「光」を見つけることができるはずです。

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