定年後、私たちが夫婦で「人口5000人の村」への移住を決めた3つの理由
ブログ「田舎移住の光と影」へようこそ。
はじめまして。このブログを運営しております、タカシと申します。現在六十五歳、同い年の妻と二人で、山陰地方のとある村で暮らしております。都会で長年勤め上げた会社を定年退職し、この地にやってきてから早五年が経ちました。
私たちの住む村は、人口五千人ほどの、いわゆる過疎地域です。標高が高い山間部に位置しており、夏は都会の喧騒と熱帯夜が嘘のように涼しく、過ごしやすいのが自慢です。その代わり、冬は厳しく、毎年五十センチほどの雪が静かに積もります。
私たちには三人の子供がおりますが、皆それぞれ家庭を持ち、県外で暮らしています。こちらの生活は、夫婦二人の年金と、妻が自宅で開いているささやかな料理教室、そして趣味で始めたジャムなどの加工品販売が主な収入源です。決して裕福ではありませんが、心穏やかに日々を過ごすには十分すぎるほどの恵みを感じています。
このブログでは、私たちの経験を通して、田舎暮らしの素晴らしい「光」の部分と、同時に覚悟しておかなければならない「影」の部分を、包み隠さずお伝えしていきたいと思っております。移住を考えていらっしゃる方、特に私たちと同世代の方々にとって、何かしらのヒントになれば幸いです。
さて、第一回目の記事となります今回は、そもそも「なぜ私たちがこの村を選んだのか」という、移住の原点についてお話ししたいと思います。理由は大きく分けて三つあります。
理由その一:自分たちの手で暮らしを創る、本当の豊かさを求めて
一つ目の理由は、自然の恵みを直接感じながら、自分たちの手で日々の暮らしを創り上げていく、そんな生活への強い憧れでした。
都会での暮らしは、ボタン一つでお湯が沸き、スーパーに行けば季節を問わず何でも手に入る、非常に便利なものでした。しかし、定年を意識し始めた頃から、その便利さがどこか空虚なものに感じられるようになったのです。自分が生きるために必要なエネルギーや食料が、一体どこから来て、どのように作られているのか。その実感からあまりにもかけ離れた生活を送っていることに、ふと気づかされました。
この村での生活は、その対極にあります。我が家の風呂は薪ボイラーです。朝、斧で薪を割り、火をおこして湯を沸かす。スイッチ一つとはいかない手間はかかりますが、パチパチと薪がはぜる音を聞きながら、じっくりと温まっていく湯船に浸かる時間は、何物にも代えがたい贅沢です。もちろん、車で少し走れば素晴らしい温泉があるので、そちらへ足を運ぶ楽しみも日常の一部となっています。
冬の暖房は、長年の夢だった薪ストーブです。揺らめく炎を眺めているだけで、心がじんわりと温かくなります。この炎を燃やすための薪も、春から夏にかけて自分たちで準備します。こうした一つ一つの作業が、面倒であると同時に、確かに「生きている」という実感を与えてくれるのです。
そして、何よりの楽しみは、借りている小さな畑での野菜作りです。土に触れ、種を蒔き、水をやり、雑草を抜く。そうして丹精込めて育てた野菜が食卓に並ぶ喜びは、格別です。採れたてのきゅうりの瑞々しさ、完熟トマトの濃厚な味わいは、スーパーで買うものとは全く違います。自給自足と呼ぶにはまだまだ拙いものですが、自分たちが食べるものを自分たちで作るという営みは、私たちの暮らしを根底から豊かにしてくれました。
理由その二:年金暮らしでも無理なく、心にゆとりを持てる経済的な暮らし
二つ目の理由は、非常に現実的な話ですが、経済的な側面です。
私たち夫婦の主な収入は、二人分の年金です。都会で暮らし続けることを考えた時、高い家賃や物価、何かとつきまとう交際費などを考えると、正直なところ、年金だけでゆとりのある生活を送るのは難しいだろうと感じていました。
その点、田舎での生活コストは都会に比べて格段に抑えられます。我が家は空き家バンクで見つけた古い民家を借りていますが、都会のマンションの家賃を考えれば驚くほど安価です。食費に関しても、自分たちの畑で採れる野菜のおかげで、ずいぶんと助かっています。旬の時期には食べきれないほどの野菜が採れるので、妻がジャムや漬物、干し野菜などに加工して保存食を作ります。この加工品が、妻の開く料理教室の教材になったり、ご近所さんへのおすそ分けになったり、時には販売してささやかな収入にも繋がったりと、良い循環を生んでいます。
もちろん、田舎ならではの出費もあります。車は生活必需品ですから、ガソリン代や維持費はかかります。冬の寒さは厳しいため、薪ストーブの薪代や灯油代も必要です。しかし、それらを差し引いても、全体的な生活費は都会にいた頃よりもずっと少なくなりました。
お金の心配が減ったことは、心のゆとりに直結します。日々の支払いに追われることなく、今日は畑仕事をしようか、それとも温泉にでも行こうか、と自分たちのペースで一日を決められる。この精神的な安定こそ、私たちが田舎暮らしに求めていた大きな要素だったのです。
理由その三:人との関わりにおける「ちょうどいい距離感」
最後の三つ目の理由は、地域の人々との関わり方、その「距離感」にあります。
田舎暮らしというと、濃密な人間関係や昔ながらのしきたりを心配される方も多いかもしれません。私たちも当初は、いわゆる「村社会」にうまく馴染めるだろうかという不安がなかったわけではありません。
私たちがこの村を選んだ決め手の一つは、「人口五千人」という規模でした。これは、顔を合わせれば挨拶を交わすような温かさを持ちつつも、互いのプライバシーに過度に干渉しすぎない、絶妙な規模だと感じたからです。実際に暮らしてみると、皆さん本当に親切で、移住者の私たちを温かく受け入れてくれました。野菜作りのコツを教えてくれたり、大雪の日に除雪を手伝ってくれたりと、助けられることばかりです。
一方で、私たちは自分たちのペースを大切にしたいという思いもありました。例えば、地域の消防団は、私たちの年齢では参加義務がありません。これは体力的にも正直ありがたいことでした。もちろん、地域の活動への協力は惜しまないつもりで、自治会には加入し、草刈りや清掃活動といったできる範囲での役割は果たしています。そうした無理のない関わり方が許される空気が、この村にはありました。
県外で暮らす子供たちとの距離も、私たちにとっては「ちょうどいい」と感じています。物理的には離れてしまいましたが、今では年に数回、孫を連れて帰省してくれるのが何よりの楽しみになりました。都会の喧騒から離れたこの場所で、家族水入らずの時間をゆっくりと過ごす。そんな新しい関係性を築けているように思います。
移住は、人生の大きな決断です。もちろん、楽しいことばかりではありません。冬の雪かきは重労働ですし、虫との格闘も日常茶飯事です。便利さに慣れた身には、不便だと感じることも多々あります。しかし、それらの「影」の部分を補って余りあるほどの「光」が、ここでの暮らしにはありました。
今回は、私たちがこの村を選んだ理由についてお話ししました。次回からは、より具体的な日々の暮らしの様子や、移住して感じた理想と現実について、少しずつ綴っていきたいと思います。