はじめに:炎の向こう側にある、知られざる物語
こんにちは。山陰の山村で、薪ストーブの炎に心癒される毎日を送っております、タカシです。
田舎暮らしの象徴として語られることの多い、薪ストーブ。その揺らめく炎は、見る人の心を穏やかにし、家全体を陽だまりのような暖かさで包み込んでくれます。都会から友人が訪れると、誰もがこのストーブの前に陣取り、「いいなあ、最高だね」と羨望の眼差しを向けます。
その言葉を聞くたび、私は誇らしい気持ちになると同時に、心の中でこう呟くのです。「この炎が、どれほどの汗と時間と労力の結晶であるか、君はまだ知らないのだよ」と。
そう、薪ストーブの暖かさは、スイッチ一つで手に入るものではありません。それは、春の木々の芽吹きから始まり、夏の蝉時雨、秋の紅葉を経て、長い冬を越すための一年がかりの準備の末に、ようやく手にすることのできる恩恵なのです。今回は、私たちの暮らしの、文字通り「生命線」である薪を確保するための、壮大で、そして泥臭い物語についてお話ししたいと思います。
【薪の一年】春から始まる、冬への備え
我が家では、冬の間、薪ストーブと薪ボイラーを合わせると、軽トラックの荷台に山盛り5〜6杯分という、膨大な量の薪を消費します。この量を確保するための作業は、雪解けと共に始まります。
春:原木の調達と玉切り
まず、燃料となる「原木(丸太)」を手に入れなければなりません。幸い、ご近所の山主さんのご厚意で間伐材をいただけることがありますが、それだけでは到底足りません。そのため、地元の林業組合などから、軽トラック数台分の原木を購入します。
手に入れた直径30センチはあろうかという太い丸太を、チェーンソーを使って、薪ストーブに入る長さ(私たちの場合は約40センチ)に切り揃えていきます。この作業を「玉切り」と呼びます。ウィーンというエンジン音と共に、おが屑が舞い、木の香りが立ち込める。一見豪快で楽しそうに見えますが、重いチェーンソーを支え、正確に切り進めるのはかなりの集中力と体力を要する作業です。安全には最大限の注意を払わなければ、大怪我に繋がりかねません。
夏:ひたすら己と向き合う「薪割り」
玉切りにした丸太を、今度は斧で割っていく。これが、薪作りのクライマックスであり、最も過酷な肉体労働である「薪割り」です。
夏の暑い日、汗だくになりながら、私はひたすら斧を振り下ろします。狙いを定め、腰を入れ、振りかぶった斧が「スパーン!」と乾いた音を立てて丸太に吸い込まれ、きれいに二つに割れた時の爽快感は、何物にも代えがたいものがあります。しかし、それは最初のうちだけ。目の前には、まだ割らなければならない丸太の山がそびえ立っています。それは、己の体力と精神力との、静かで孤独な対話の時間です。
節があったり、木がねじれていたりすると、斧は面白いように弾かれます。無理に力を入れると、腰を痛める原因になります。木の目を見極め、自然の理に逆らわず、最小限の力で割る。まさに、経験と知恵がものを言う世界です。六十五歳の体には正直こたえますが、この無心で体を動かす時間が、不思議と心の澱を洗い流してくれるようにも感じます。
秋:来年の冬を見据えた「乾燥と薪棚」
割り終えた薪は、すぐに燃料として使えるわけではありません。水分をたっぷりと含んだ「生木」は、燃えにくく、煙ばかりが出て、ストーブを痛める原因になります。薪として最高のパフォーマンスを発揮させるためには、最低でも一年、できれば二年、雨の当たらない風通しの良い場所でじっくりと乾燥させる必要があります。
そのため、私たちは割った薪を、家の壁際に作った「薪棚(まきだな)」に丁寧に積み上げていきます。下から風が抜けるように、そして隣の薪との間に隙間を作るように。この地道な作業が、来シーズンの冬の暖かさを約束してくれるのです。薪棚に美しく積まれた薪の壁は、私たちにとって、冬を乗り越えるための備えができた証であり、眺めているだけで心に安らぎを与えてくれる、アート作品のようにも見えます。
労働の対価として得られる、本当の暖かさ
こうして、一年がかりで準備した薪が、ようやく冬になって、我が家のストーブの中で赤々と燃えるのです。この炎から得られる暖かさは、エアコンやファンヒーターのそれとは、全く質が違います。
それは、単なる熱ではありません。春の玉切りの記憶、夏の汗だくの薪割り、秋の薪棚への積み上げ。その一つ一つの労働の記憶が、熱と共に家中に広がり、体だけでなく、心までじんわりと温めてくれるのです。自分たちの手で確保したエネルギーで、厳しい冬の寒さから家族を守っている。その実感は、何にも代えがたい自信と満足感を与えてくれます。
スローライフという言葉の響きは、どこか優雅で、のんびりとしたイメージを伴います。しかし、その実態は、自然のサイクルに合わせて、来るべき季節に備え、黙々と手を動かし続けるという、極めて現実的で、地道な営みの連続です。
冬の生命線である「薪」。それを確保する作業は、確かに楽ではありません。しかし、その労苦があるからこそ、私たちは炎のありがたみを、本当の暖かさの意味を、誰よりも深く感じることができるのです。これこそが、私たちが求めていた田舎暮らしの「光と影」そのものなのだと、揺らめく炎を見つめながら、いつも思うのです。