夫婦二人、24時間365日。移住して気づいたパートナーとの新たな関係

新しい生き方

はじめに:人生最大の環境変化は、定年退職そのものではなかった

こんにちは。山陰の山村で、妻と二人、寄り添うように暮らしております、タカシです。

このブログでは、田舎暮らしの様々な側面についてお話ししてきましたが、今回は少し趣向を変えて、最も身近で、そして最も大きな変化があった「夫婦関係」について、少し照れくさいですが、率直に語ってみたいと思います。

都会で会社勤めをしていた頃、私たちの生活には、はっきりとした「リズム」と「距離感」がありました。平日の朝、私は満員電車に揺られて会社へ向かい、妻は家事をこなし、パートに出かけ、あるいは友人との時間を楽しむ。互いにそれぞれの世界を持ち、それぞれの時間を過ごし、夜になって食卓を囲む。それが、四十数年間続いてきた、私たちの当たり前の日常でした。

しかし、定年退職とこの村への移住は、その日常を根底から覆しました。突然、私たちは「24時間365日、常に顔を突き合わせる」という、人生で初めての環境に置かれることになったのです。世間では「定年後の夫は、妻にとって濡れ落ち葉のような存在になる」などと揶揄されることもあります。正直なところ、一抹の不安がなかったと言えば、嘘になります。

あれから五年。結論から申し上げますと、私たちの関係は、都会にいた頃とは全く違う、新しい形へと変化しました。それは、甘い恋人時代とも、子育てに追われた戦友時代とも違う、もっと深く、そして穏やかな絆。今回は、その変化の過程で経験した「影」と、その先に見出した「光」について、お話ししたいと思います。

【影】距離が近づきすぎて、見えなくなったもの

移住当初、私たちの間には、些細な、しかし確実な不協和音が生まれ始めました。長年、別々のリズムで生きてきた二人が、一つ屋根の下で四六時中一緒にいるのですから、ある意味当然のことだったのかもしれません。

「よかれと思って」が引き起こす、小さな戦争

最も頻繁に衝突が起きた場所は、畑でした。私は、良かれと思って、教科書通りに畝を作り、雑草をこまめに抜きました。しかし、妻に言わせれば、「この土地の水はけを考えたら、畝はもっと高くしないとダメ」「その草は、土の乾燥を防いでくれるから、全部抜かなくてもいいのに」と、ことごとくやり方が違うのです。「俺は良かれと思ってやっているのに、なぜ文句ばかり言うんだ!」。そんな、今思えば子供のような喧嘩を、何度も繰り返しました。互いの「テリトリー」に、土足で踏み込んでしまっていたのです。

「言わなくてもわかるだろう」という、夫婦の甘え

毎日一緒にいると、不思議なことに、かえって大切な会話が減っていくことにも気づかされました。「どうせ後で話せるから」と後回しにしたり、「これくらい、言わなくてもわかるだろう」と勝手に思い込んだり。その結果、薪の準備の段取りが食い違ったり、ご近所さんへのお返しの品物が重複してしまったりと、小さなミスが頻発しました。

距離が近すぎることで、かえってお互いへの配慮や、丁寧なコミュニケーションを怠ってしまっていた。私たちは、結婚四十数年にして、改めて「報告・連絡・相談」の重要性を、痛感させられることになったのです。

【光】共同作業が生んだ、新しい「戦友」としての絆

そんなギクシャクした時期を乗り越えるきっかけとなったのは、皮肉にも、田舎暮らしの最も厳しい側面である「労働」でした。

一つの目標に向かう「チーム」としての自覚

虫に食われ、天候に泣かされた、失敗だらけの野菜作り。冬の厳しい寒さを乗り越えるための、一年がかりの薪の準備。これらは、一人では決して成し遂げることのできない、夫婦の「共同プロジェクト」でした。

私がチェーンソーで玉切りにした丸太を、妻が運びやすいように脇にどけてくれる。私が汗だくで薪を割っていると、妻が冷たい麦茶を持ってきてくれる。そして、割り終えた薪を、二人で阿吽の呼吸で薪棚に積んでいく。厳しい共同作業を重ねるうちに、私たちの間には、単なる「夫婦」を超えた、「チーム」や「戦友」とでも言うべき、新しい連帯感が生まれていきました。お互いの得意なこと、苦手なことを自然と補い合い、一つの目標に向かって力を合わせる。その過程で、私たちは再び、互いをかけがえのないパートナーとして認識し直すことができたのです。

【発見】六十五歳にして初めて知った、妻の本当の姿

そして、この村での暮らしは、私がこれまで知らなかった妻の新たな一面を、次々と見せてくれました。

料理教室で見せた、生き生きとした「先生」の顔

妻が自宅で始めたささやかな料理教室。私はその様子を、少し離れた場所から眺めるのが好きです。地域の奥さんたちを前に、生き生きとした表情で料理のコツを教え、楽しそうに笑い合う妻の姿。それは、私が四十数年間、家庭の中でしか知らなかった「妻」や「母」の顔とは全く違う、一人の人間としての、社会的な輝きに満ちていました。

また、畑で採れた野菜を、驚くほど手際よく保存食へと変えていく知恵。ご近所さんと、あっという間に打ち解けてしまうコミュニケーション能力。私が思っていた以上に、妻はたくましく、聡明で、そして魅力的な人間だった。その事実に、私は六十五歳にして、改めて深い尊敬の念と、そして新鮮な恋心のようなものを抱いたのです。

まとめ:人生の後半戦を共に歩む、最高のパートナー

24時間365日、一つ屋根の下で暮らす。それは確かに、衝突や軋轢を生むこともあります。しかし、それはお互いの知らなかった一面を知り、より深く理解し合うための、必要なプロセスだったのだと、今では思います。

都会にいた頃、私たちは、無意識のうちに「夫」と「妻」という役割の鎧を身につけていたのかもしれません。田舎での泥だらけの共同生活は、その鎧を脱ぎ捨てさせ、私たちを再び、一人の人間同士として向き合わせてくれました。

私の隣で、こともなげに鍬を振るう妻。その横顔は、四十数年前に初めて出会った頃よりも、ずっと美しく、そして頼もしく見えます。人生の後半戦を共に歩むパートナーとして、そして厳しい自然と対峙する戦友として、これほど心強い存在はありません。これからも、この最高のパートナーへの感謝を忘れずに、一日一日を大切に紡いでいきたいと思っています。

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