はじめに:物理的な距離がもたらした、心の距離の変化
こんにちは。山陰の山村で、妻と二人、穏やかに暮らしております、タカシです。
このブログを読んでくださっている方の中には、私たちと同じように、お子さんやお孫さんとは離れて暮らしているという方も多いのではないでしょうか。私たちには三人の子供がおりますが、皆それぞれ家庭を持ち、県外の都会で暮らしています。孫たちの顔を気軽に見に行ける距離ではありません。
私たちがこの村への移住を決めた時、子供たちが最も懸念したのも、この「物理的な距離」の問題でした。「何かあった時に、すぐには駆けつけられない」「孫たちと会う機会が減ってしまうのではないか」。その心配はもっともなものであり、私たち自身もまた、一抹の寂しさと不安を抱えていたのは事実です。
あれから五年。私たちは、あの時の不安を、今では全く違う形で捉えるようになりました。確かに、会えない時間は増えました。しかし、その会えない時間が、逆説的に、私たちの家族の絆を、以前とは違う、もっと深く、温かいものへと変えてくれたように感じるのです。今回は、そんな私たちが田舎暮らしの中で見出した、子供や孫との新しい付き合い方について、お話ししたいと思います。
【会えない時間】デジタルツールが繋ぐ、日々のささやかな繋がり
都会にいた頃、子供たち家族とは比較的近くに住んでいたため、月に一度は誰かしらの顔を見ていました。しかし、その関係はどこか「当たり前」のものになっていたように思います。いつでも会えるという安心感が、かえって一つ一つの機会を大切にする気持ちを薄れさせていたのかもしれません。
六十五歳の手習い。「孫リンピック」がもたらしたビデオ通話革命
移住当初、私たちが最も恐れたのは、孫たちの成長を見逃してしまうことでした。赤ん坊だった孫が、初めて寝返りを打つ瞬間。おぼつかない足で、最初の一歩を踏み出す瞬間。そんなかけがえのない一瞬一瞬を、もう間近で見ることはできないのかと、寂しさが募りました。
その状況を劇的に変えてくれたのが、息子の嫁が提案してくれた「孫リンピック」と称する、定期的なビデオ通話でした。最初はスマートフォンの小さな画面に映る孫の顔に、どうにも慣れなかった私たちですが、ぎこちない手つきで操作を覚えました。今では、週末の夜に、それぞれの子供の家族と順番にビデオ通話をするのが、何よりの楽しみになっています。
画面の向こうで、孫が覚えたての言葉を披露してくれたり、保育園で作った自慢の工作を見せてくれたり。その度に、私たち夫婦は満面の笑みで拍手を送ります。物理的には何百キロも離れていても、心の距離はゼロになる。このデジタルの窓は、現代の魔法なのだと、つくづく感じます。
畑の恵みが運ぶ、季節の便り
もう一つ、私たちと子供たち家族を繋いでくれる大切なツールが、畑で採れた野菜や、妻が作る保存食を詰めた段ボール箱です。春には採れたてのタケノコ、夏には瑞々しいトマトやきゅうり、秋には掘りたてのサツマイモ、そして冬には妻特製の干し柿や漬物。季節ごとに、この村の旬をぎっしりと詰め込んで送ります。
荷物が届くと、必ず子供たちから「ありがとう!早速食べたけど、最高に美味しかったよ!」という弾んだ声の電話がかかってきます。孫からは「じいじのトマト、甘かった!」という嬉しい感想も。自分たちが丹精込めて育てたものが、遠く離れた家族の血肉となり、笑顔を生んでいる。その実感は、私たちの畑仕事への何よりのモチベーションとなっています。
【会えた時の喜び】「ただいま」と帰ってこられる、故郷という名の舞台
そして、年に数回、子供たち家族がこの村に帰省してくれる時、私たちの喜びは最高潮に達します。会えない時間が長い分、その喜びは、まさに爆発的です。
「何もない」がある、最高の遊び場
都会で暮らす孫たちにとって、私たちのこの村は、最高のテーマパークのようです。畑で泥だらけになって野菜を収穫し、近くの小川で沢蟹を探し、夜には庭で焚き火を囲んでマシュマロを焼く。ゲーム機やスマートフォンがなくても、ここには彼らを夢中にさせる「本物の自然」が溢れています。
そんな孫たちの、目をキラキラさせて遊ぶ姿を見るのが、私たちの何よりの幸せです。そして、そんな子供たちの姿を見つめる息子や娘の、穏やかで、どこか懐かしそうな表情を見るたびに、私たちは「ああ、帰ってこられる場所を作ってあげられて、本当によかった」と、心から思うのです。
三世代で囲む食卓。受け継がれていく、家族の味
帰省中の食卓は、いつもに増して賑やかです。主役は、もちろん畑で採れた野菜たち。そして、その野菜を、妻が娘や嫁たちと一緒に台所に立って料理します。妻が、母から教わった郷土料理の作り方を、次の世代に伝えていく。その光景は、私にとって何よりも尊いものです。
都会にいた頃は、外食で済ませてしまうことも多かった家族の集まり。しかし、この村では、皆で食材を収穫し、一緒に料理をし、薪ストーブの火を囲んで語り合う。その一連のプロセスすべてが、かけがえのない家族の時間となっています。この食卓の記憶こそが、孫たちの心の中に「故郷の味」として、きっと刻まれていくことでしょう。
まとめ:距離は、想いを熟成させる時間
移住によって生まれた、子供や孫との物理的な距離。それは当初、私たちにとって寂しさや不安の種でした。しかし、五年という歳月は、その距離が持つ本当の意味を教えてくれました。
会えない時間は、決して空白の時間ではありません。それは、お互いを想う気持ちを、まるで美味しい漬物のように、じっくりと熟成させるための、大切な時間なのです。そして、その熟成された想いがあるからこそ、再会できた時の喜びは、何倍にも、何十倍にも膨れ上がる。
私たちはこれからも、この山村から、遠く離れた家族へ、たくさんの愛情を送り続けたいと思います。そして、彼らがいつでも羽を休めに帰ってこられるよう、この場所を守り続けていきたい。それが、私たち老夫婦にできる、最大限の家族への貢献なのだと、信じています。