はじめに:土への憧れと、あまりにも甘かった見通し
こんにちは。山陰の小さな村で、土の香りに日々癒やされております、タカシです。
定年後の暮らしを思い描いた時、私の頭の中にあったのは、いつも一つの光景でした。それは、燦々と降り注ぐ太陽の下、麦わら帽子をかぶって、自分の手で育てた野菜を収穫する姿。都会のコンクリートジャングルで長年過ごしてきた私にとって、「土に触れる生活」は、何物にも代えがたい憧れであり、スローライフの象徴そのものでした。
移住前、都会のマンションのベランダで、プランターを使ってトマトやハーブを育てていた経験もありました。それなりに収穫もできていたので、正直なところ、少しばかり自信があったのです。「場所が畑に変わるだけだ。広くなる分、もっとたくさんの野菜が作れるだろう」。そんな、今思えば赤面するほど甘い見通しを立てていました。
しかし、現実はまったくの別物でした。この村で小さな畑を借り、百姓一年生としての一歩を踏み出したあの日から、私の「理想」は、自然という偉大な師匠によって、容赦なく打ち砕かれることになります。今回は、そんな私の、笑い話と涙なしには語れない、初めての野菜作りの顛末をお話ししたいと思います。
【失敗だらけの1年目】教科書通りにはいかない、自然との格闘
その1:鍬一本に打ちのめされた「土作り」
移住した年の春、私たちは村の片隅にある小さな畑を借りました。広さは五十坪ほど。二人で食べる分には十分すぎる広さです。やる気に満ち溢れ、ホームセンターで新品の鍬(くわ)と園芸書を買い込み、意気揚々と畑に向かいました。
しかし、最初の試練はすぐにやってきました。長年使われていなかったその畑の土は、私の想像をはるかに超えて固く、石がゴロゴロと顔を出します。園芸書には「ふかふかの土になるまで、よく耕しましょう」と簡単に書いてありますが、その「ふかふか」への道のりがいかに遠いことか。慣れない手つきで鍬を振り下ろすものの、刃は固い土に弾かれ、手と腰に鈍い衝撃が走るばかり。わずか一時間で息は上がり、腰は悲鳴を上げ、情けないことにその日は早々に退散することになりました。
数日かけて、なんとか畑全体を耕し終え、次なる作業は「畝(うね)作り」です。教科書の見本のような、まっすぐで美しい畝を目指すのですが、これがまた難しい。私が作ると、なぜか畝は右へ左へと蛇行し、まるでミミズが這った跡のよう。それを見た妻に「あなたらしい、味のある畝ね」と笑われ、返す言葉もありませんでした。
その2:歓迎されざる客、「虫」たちとの仁義なき戦い
土作りの苦労も、種から可愛らしい双葉が顔を出した時の喜びで吹き飛びました。「おお、出てきた、出てきた」。毎朝畑に行くのが楽しみで、日に日に大きくなる苗を眺めるのは、まるで孫の成長を見守るような心境でした。
しかし、その喜びも長くは続きませんでした。ある朝、丹精込めて育てていたキャベツの葉が、無残にも穴だらけになっているのを発見したのです。犯人は、青々としたアオムシでした。それからというもの、私たちの畑は、ありとあらゆる虫たちのレストランと化してしまったのです。夜の間に葉を食い荒らすヨトウムシ、アブラムシの群れ、カメムシ…。「無農薬で、体に優しい野菜を作りたい」という高尚な理想は、日に日に蝕まれていく野菜を前に、もろくも崩れ去りそうになりました。
毎朝、割り箸を片手に虫を一匹一匹捕殺し、夜には懐中電灯で葉の裏を照らして回る。それは、スローライフとは程遠い、まさに「戦い」の日々でした。
その3:どうにもならない相手、「天気」の気まぐれ
虫との戦いと並行して、私たちを悩ませたのが「天気」です。梅雨の時期、長雨が続いたせいで、ようやく色づき始めたトマトは次々と実が割れてしまいました。かと思えば、真夏には雨が一滴も降らない日が続き、水やりが追いつかずにナスは大きくならず、きゅうりは曲がってしまいます。天気予報を見ては一喜一憂し、空を見上げてはため息をつく。自然の力の前では、人間の計画などいかに無力であるかを、骨身にしみて思い知らされました。
【学びと成長の2年目以降】最高の教科書は、隣の畑にあった
そんな失敗だらけの一年目が終わる頃、私たちの畑で収穫できたのは、虫食いだらけで小ぶりな、見るからに不格好な野菜たちでした。しかし、初めて自分たちの手で収穫したその野菜の味は、言葉にできないほど濃く、甘く感じられました。
とはいえ、かけた労力を考えると、スーパーで買った方がよほど安くて立派です。このままではいけない。そう思っていた矢先、救いの手を差し伸べてくれたのは、隣の畑でいつも見事な野菜を作っている、御年八十歳の大先輩でした。
「タカシさん、本を読むのもいいが、一番の先生はこの土地の土と天気だよ」
そう言って、その方は私たちに、教科書には載っていない「生きた知恵」を惜しみなく教えてくださいました。この土地の水はけに合った野菜の選び方、雑草を敵と見なさず土の乾燥を防ぐ味方と考える「草マルチ」という農法、そして虫が嫌うハーブを一緒に植えるコンパニオンプランツの知識。目から鱗が落ちるとは、まさにこのことでした。
二年目からは、完璧な野菜を作ることをやめました。ご近所の先輩方に教えを乞い、失敗を恐れず、まずは土に触れることを楽しもう。そう夫婦で話し合い、畑仕事は私たちの「共同作業」になりました。すると不思議なことに、肩の力が抜けたことで、野菜たちは前年よりもずっとのびのびと、元気に育ってくれるようになったのです。
【五年目の現在】畑がもたらしてくれた、食卓以上の豊かさ
移住して五年が経った今、私たちの食卓は、自分たちの畑で採れた旬の野菜で彩られています。形は不揃いですが、味は抜群です。野菜本来の味が濃いため、凝った味付けは必要ありません。塩を少し振るだけで、最高のご馳走になります。妻は保存食作りもすっかり板につき、ピクルスやジャム、干し野菜のおかげで、一年を通して畑の恵みを享受できるようになりました。
しかし、畑が私たちにもたらしてくれたのは、豊かな食卓だけではありません。毎日の畑仕事は、知らず知らずのうちに私たちの足腰を鍛え、最高の健康法となっています。そして何より、土に触れ、作物の成長を見守るという営みは、私たちの心を穏やかにし、自然への感謝の念を教えてくれました。
失敗だらけだった一年目。あの時の悔しさや苦労は、決して無駄ではありませんでした。それらすべてが、私たちの畑にとって、そして私たちの人生にとって、最高の「肥料」となったのですから。