はじめに:「食べることは、生きること」を実感する日々
こんにちは。山陰の小さな村で、妻と二人、土に触れる暮らしを営んでおりますタカシです。
「田舎で畑を借りて、自給自足の生活を送る」。これは、都会で暮らす多くの人々が抱く、牧歌的で美しいイメージかもしれません。そして、その先には「自分たちで食べるものを育てれば、食費はゼロになるのではないか?」という淡い期待が続くのではないでしょうか。私たち夫婦もまた、移住前はそんな夢物語を思い描いていた時期がありました。
さて、この村で五年という歳月を重ね、来る日も来る日も畑に出て、土と向き合ってきた今、その問いに対する答えは明確に出ています。
今回は、ロマンの向こう側にある現実として、我が家の「畑」と「食卓」のリアルな関係、そして「自給自足」が家計に与える本当の影響について、包み隠さずお話ししたいと思います。結論から言えば、食費は決してゼロにはなりませんが、そこにはお金の勘定だけでは測れない、計り知れないほどの豊かさが存在していました。
【光】畑がもたらす、金銭以上の恵み
夏の食卓は、まさに「買うものなし」の状態に
まず、自給自足の「光」の部分からお話ししましょう。夏の時期、私たちの食卓は、畑からの恵みで溢れかえります。太陽の光をたっぷりと浴びて真っ赤に熟したトマト、瑞々しいきゅうり、艶やかなナス、そして甘いトウモロコシ。これらが、毎日のように、それこそ二人では食べきれないほどの量が収穫できるのです。
この時期に限って言えば、スーパーの野菜売り場に立ち寄る必要はほとんどありません。朝、畑で採れたばかりの新鮮な野菜をサラダや炒め物にしていただく。この上ない贅沢であり、同時に家計にとっては大きな助けとなります。特に、天候不順で都会の野菜価格が高騰しているというニュースを耳にするたび、自分たちの手で食料を生み出せることのありがたみを、しみじみと実感します。
また、旬の恵みを無駄にしないための妻の知恵も、我が家の食卓を豊かにしてくれます。大量に採れたトマトはソースにして冷凍保存し、きゅうりは漬物に、ナスは干し野菜に。こうしたひと手間が、収穫の少ない時期の食費を確実に抑えてくれるのです。
お金を介さない、温かい「物々交換」という文化
もう一つ、田舎ならではの素晴らしい恩恵が、ご近所さんとの「物々交換」です。私たちの畑では作っていないカボチャやジャガイモを、「うちで採れすぎたから」と玄関先に置いていってくださる。そうすれば、「ありがとうございます。うちの畑のトマトも持っていってください」と、お返しをする。ある時は、川で釣れたという鮎をいただき、私たちはお礼に妻が作った夏野菜の煮物をお届けする。こうしたお金を介さない経済が、この村では当たり前のように息づいています。これもまた、数字には表れないけれど、食費を確実に押し下げてくれる大切な要素です。
【影】自給自足の限界と、見えないコスト
さて、ここからは現実的な「影」の部分に目を向けなければなりません。残念ながら、畑さえあればすべての食料が手に入るわけではないのです。
畑では作れない、買わなければならないものたち
当然のことながら、私たちがスーパーで買い物をしなくなる日はありません。なぜなら、畑では決して作れないものがたくさんあるからです。
- 基礎調味料:塩、砂糖、醤油、味噌、酢、油など。これらがなければ、料理は始まりません。
- タンパク質源:肉、魚、卵、豆腐。私たちは鶏を飼っているわけではないので、これらはすべて購入する必要があります。
- 主食や乳製品:お米(私たちは田んぼを持っていないので米農家さんから買っています)、パン、麺類、牛乳、チーズ、ヨーグルト。
- その他:自分たちで育てていない果物や、嗜好品であるお菓子、お酒、コーヒーなど。
こうして書き出してみると、いかに多くのものを「買う」という行為に依存しているかが、お分かりいただけるかと思います。
「育てる」ために必要なお金
さらに見落としがちなのが、野菜を「育てる」ためにもお金がかかるという事実です。私たちの畑は年間契約で借りているため、まず地代がかかります。そして、春になれば種や苗を購入し、土を元気にするための肥料や堆肥も必要です。私たちはできるだけ農薬を使わないようにしていますが、それでも最低限の虫除け対策は欠かせません。
また、鍬やスコップ、支柱といった農具も、最初に揃えるのにはある程度の費用がかかりますし、長く使えば壊れることもあります。これら「育てるためのコスト」を考えると、畑仕事は決してゼロから何かを生み出す魔法ではないのです。
結論:我が家の食費はゼロにはならない。しかし…
それでは、最終的な結論です。「自給自足で食費はゼロになるか?」という問いに対して、私たちの答えは、「いいえ、決してゼロにはなりません。しかし、都会で暮らしていた頃に比べれば、確実に半額近くにはなっています」というものです。
夏の野菜代がほぼ浮くこと、保存食で食いつなげること、そして物々交換の恩恵。これらを総合すると、年間の食費は大幅に削減されます。年金暮らしの私たちにとって、この経済的なメリットは非常に大きいと言わざるを得ません。
しかし、五年間の百姓仕事を通して私たちが得た最も大きなものは、食費の削減という数字以上に、もっと根源的なものでした。
それは、自分たちの手で種を蒔き、水をやり、雑草を抜き、丹精込めて育てたものが、自分たちの命を繋ぐ糧になるという、厳粛で、そして喜びに満ちた実感です。スーパーの棚に並んだ綺麗な野菜を買うのとは全く違う、「食べることは、生きること」そのものへの感謝の念が、自然と湧き上がってくるのです。
食費はゼロにはならない。けれど、私たちの人生の豊かさは、間違いなく満点に近づいた。それが、我が家の畑と食卓の、偽りのないリアルです。